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5/5(月)「感謝の道を共に歩める法友がいることが有難い」

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食べ物を控え目に節制して、

その人の霊的な穢(けが)れが浄化して、

その人の心が無心(空)の心境に在り続けるならば、

その人が存在した痕跡を知ることは難しく成ります。

それはまるで、大空を飛ぶ鳥の軌跡が見えないようにです。

(原始仏典 ダンマパダ7章-93番)

 

自分なんて、社会の隅に目立つことも無く、

今自分が消えても誰も気付かないし、誰も悲しまないだろう。

と、現代社会では思う人が多いことでしょう。

その一方で、社会の成功者が肖像画を会社に残したり、

自分の銅像を多くの人々の目に触れる場所に残したりします。

 

では釈尊の理想とする真に悟った人とは、

どちらの人物に近いのでしょうか?

「その人が存在した痕跡を知ることは難しく成ります」

と釈尊は答えています。

つまり、誰にも知られることもなく、

陰で淡々と真理と共に生き、ひっそりと死んで行く人の中にこそ、

真に「尊い人」が存在すると仰っています。

 

この項から釈尊が伝えたいことは、自分は一人であり、誰にも無視され

ているからダメだと思わないで欲しいということです。

むしろ真理の視点では、その方が身軽で理想に近いのです。

ただし、釈尊は「その人の心が無心(空)の心境に在り続けるならば」

としています。つまり、気づけば執着心から離れて(承認欲求)、コノ世

の陰に居て決して目立つことなく真面目に日々を生きる姿こそが、それ

が正解であり真のこの世の勝利者なのだと仰っているのです。

 

実は、本質の部分で分かっているのか、社会で「成功した」人には

無名や表舞台に出たがらない人が本当に多いのです。今の情報社会ほど、

誰にも知られないことはさらに良いことです。

変な人や組織も近寄ってきませんし、さらには怪しい宗教や精神世界の

集会に誘われることもありません。

 

それよりも一人でもいいから、何の組織にも属することなく、真理を分かち

合え、感謝一本道を生きる法友がいればいいのです。真理を生きる歓びと

共に、明るく自分なりに生活する自分自身の道を一本角のサイのように

楽しみましょう。

 

今日もより良く生きる智慧を与えて頂いて有難うございます。

皆さんの仕合せを心より念じております。

 

【柔訳 釈尊の言葉第一巻】著:谷川太一より抜粋転載

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日本人の道徳心

「福運を招くもの」

勝負の帰趨(きすう)はそのときの運に左右される。

運というのはあるのかないのか、

あるようでもあるし、ないようでもあるが、

なにがしの気配が働いて運を左右するということはありそうだ。

そのなにがしの気配を働かせて

福運を招き寄せるものはなにか。

結局、そういう目に見えないところでの行為、

目に見えないところで尽くす誠実、

といったものなのではないでしょうか。

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今日の諺 「天真爛漫(てんしんらんまん)」

【意味】

かざらないで、ありのままの姿でいること。

純真で明るくむじゃきで、こだわらない様子。

「天真」は天からあたえられた自然のままの姿のこと、

「爛漫」は自然に光り輝く様子。

 

【由来】

昔の中国の書物『輟耕録(てっこうろく)』の中で、

絵画をほめる言葉として使われている。

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