自分自身に勝つということは、
他の人々に勝つことよりも真に素晴らしい
ことなのです。
いつも自分の行いを慎み深くして、
自分自身を安心させている人は、
つまり人間としての最高の勝利者です。
このような真の勝利者を打ち負かすことは、
神々でさえも、天の眷属神たちでも、
悪魔でも、根源神でも出来ないのです。
(原始仏典 ダンマパダ8章-104番・105番)
自分自身に勝つ=神(宇宙の完全法則)を超える、
ということを釈尊が真剣に仰っています。
なぜそう言えるのでしょうか?それは、
* この雑多な社会の「煩悩」(ぼんのう:利己的な欲望)と
悪い「誘惑」に満ちた中で、
* 堕落することも、自分の自由に出来る中で、
* 必ず死ぬという、時間限定の中で、
このような中でも「自分に(自我に)勝つ」ということは、
すべての設定・環境(神)を超える、負けなかった、ということ
なのです。
仏教では、泥の中でもキレイに咲く蓮(ハス)の花が重視されて
います。蓮の花を仏の化身、宇宙そのものの化身・縮図として
大切にします。
それは何故でしょうか?泥の中でもキレイに咲くからです。
もし蓮の花が、お花畑の中で咲く花ならば、ただの花で終わって
います。泥の中でもキレイに咲く花だからこそ、仏の化身とまで
崇拝されるのです。
つまり人間は、最悪の家庭の中でも、最悪の地域の中でも、最悪
の国家の中でも、もし「いつも自分の行いを慎み深くして、自分
自身を安心させている人」と成り、自分なりの花を咲かせること
が出来ますと、その人は宇宙全体の化身となり得るのです。
これは神々(設定・宇宙の完全法則)を超える人なのです。
つまり、どんな環境の中でも「自分自身(自我)に勝つことが、
宇宙(完全法則)を制する・因果を超えることになるんだよ、という
真実のお話でした。
自分自身のクセの強い自我を自覚して、その自我に勝利する
不退転の自分でありましょう。まさに仏さまの願いはそこにあります。
今日もより良く生きる智慧を与えて頂いて有難うございます。
皆さんの仕合せを心より念じております。
【柔訳 釈尊の言葉第一巻】著:谷川太一より抜粋転載
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日本人の道徳心
「テュモス(気概)」
気概というのはギリシア語でテュモスと言うのですが、
ギリシアの哲学者の言葉を使って
ニーチェが言った言葉があります。
「二人の男が喧嘩し合った。一人は降参し、
一人は勝った。勝ったのは戦士になって、
降参したのは奴隷になった」
そして、両者の違いをテュモスにあると言っています。
気概というものが一番重要だというようなことを、
古代のギリシアの頃から気がついていたわけです。
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今日の諺 「不惜身命(ふしゃくしんみょう)」
【意味】
自分の体や命をかえりみないで、
物事に全力で取り組むこと。
「身命」(体と命)を惜しまないということ。
【由来】
仏教の言葉で、仏の道を修行するためには、
死も覚悟するという言葉から。
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