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5/17(土) 「良い因果 悪い因果の時間差に要注意」

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悪い行為からの因果が、まだ熟成しない間は、

悪い人でもまだ幸運に出合うことがあります。

でも、悪い因果が熟成した時は、

悪い人には必ず悪事が帰ります。(119番)

 

良い行為からの因果が、まだ熟成しない間は、

いくら良い人でもまだ、災難に出合うことがあります。

でも、良い因果が熟成した時は、

良い人には必ず良い事が帰ります。(120番)

(原始仏典 ダンマパダ9章-119番・120番)

 

これは釈尊が、人生のタイムラグ(時間差:互いに関連

する事柄の間に起こる時間のずれ)について仰っています。

このタイムラグのせいで、コノ世に神仏(不変法則)はい

い、悪人が勝つ、正義は無い、不公平感、不平等、不条理

・・・・という錯覚を人は持ってしまうことがあります。

 

しかし、非常に長い視点で物事を観ますと、やはり人間の

一生の長い間に起こります起承転結では、コノ世の大半の

善悪は帳尻が合わされます。

もし合わない場合でも、寿命や健康や事故等という形で、

強制的に執行されて行くものです。

 

昔、白バイ警察官を偽装して三億円を強奪した事件があり

ましたが、前住職で中学の教師をしていた父が「早く捕ま

ったら本人も助かるのになぁ。捕まらんかったらあの世に

持ちこして、えらいことになる。来世恐るべしじゃ。可哀

そうに」と、とても同情していたことを思い出します。

 

つまり、生きる間に強制的に帳尻が合わされる人は、まだ幸

運なのが真実です。

その人には、それが本当に「救い」なのです。

 

もし、コノ世で帳尻が合わないままでコノ世を去りますと、

生死をまたいでもトコトンにタイムラグを埋め合わせる重力

が働くのが宇宙の「自業自得」「不変法則」です。

これが厄介と言いますか、厳格と言いますか、体験する舞台

が死後の世界に変わっていますので、大きな負の利子が付い

ての帳尻合わせと成ります。(源信僧都 往生要集)

 

結論から言いますと、コノ世で自分に不幸がありましても、

それは本当は超ラッキーな過去からの悪しき宿業の帳尻合

わせであり、「自分自身のための」大いなる昇華と進歩の

チャンスであるのが真実なのです。

そして、この世で自分に良い事が有りますと、それはその

人自身の善悪を知り尽くしている良心(仏性)からのプレゼ

ントなのです。

 

つまり、自身の自我は嫌がっても本当は良い事ばかりだっ

たのが真実なのです。

この道理にあの世で気付いて、多くのいのちがやはり再挑

戦、やり直しを希望して生まれて来たのが今までの転生の

パターンです。それが今の私たちです。

 

今に生きている私たちは、非常に貴重な再挑戦をしている

最中であると思って下さい。目の前に表れて来るすべての

善悪、思う通りに成ること、そうでないことが、自分のため

に起こってくれています。それが本当に腑に落ちれば本当に

すべてに感謝しかなくなるのです。

 

自分自身に内在する大いなる母性の塊の仏さまは、常にあな

たと共に在るのです。安心して前に向かって自分の足で一歩

一歩あなただけのオリジナルな人生を仏さま(安心)と共に歩

いていきましょう。

 

今日もより良く生きる智慧を与えて頂いて有難うございます。

皆さんの仕合せを心より念じております。

 

【柔訳 釈尊の言葉第一巻】著:谷川太一より抜粋転載

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日本人の道徳心

「諦める理由」

私たちはなんらかの壁にぶつかると、

それが自分の手に負えそうもないとき、

たちまち無条件降伏し、

やりたいことを「諦める理由」を探し始めるものである。

「諦める理由」を探すのに賭ける情熱をやりたいことに

注げばどんなに人生は好転していくかと私は考えるのであるが、

とかく人は「できない理由」をつけて挑戦することをやめるのである。

べつにこの程度でいいやと変に納得してしまう。

あとは何とも煮え切らない人生が待っているだけであるというのに。

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今日の諺 「一蓮托生(いちれんたくしょう)」

【意味】

結果がどうなるにしても、

仲間で行動や運命をともにすること。

 

【由来】

仏教の言葉で、死んだ後に極楽浄土で、

同じ蓮の花の上に生まれ変わること。

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