「自制心で未来は自由に変わる」
過去の私は、自分の好きなように、
欲望するままに、快楽を求めて、さまよっていました。
しかし今からの私は、
ゾウの調教師が先端が曲がり尖った金属の棒を持って、
発情で暴れるゾウを完全に支配するように、
自分の心を自制するつもりです。
(原始仏典 ダンマパダ23章-326番)
どんな人間でも生きる限りは、
自分自身を自制する志(こころざし)が必要だということです。
自制心無しでは、どんな人でも切りがなくなり、さまようこと
に成るのです。たとえ釈尊であっても、生きる限りは自制する
志を持たれたのです。
今の自分自身が、色々な縁を創造中であることを知らない人が
大半です。今の自分が創る縁が、不満やアキラメ、他人への
羨望だけで終わっている人は、今の生活を維持するだけでも
大変に成って行きます。
そうでは無くて、今のこの瞬間から、「しかし今からの私は、
ゾウの調教師が先端が曲がり尖った金属の棒を持って、発情で
暴れるゾウを完全に支配するように、自分の心を自制するつ
もりです」と思えれば大丈夫なのです。
生きる限り、自分に自制心が有る間は、その人は成長ができ
るのです。老人だというだけで自制心や自己抑止力の無い人は、
やはり人間としてはダメなのです。
自制心を持つこと=成功への第一歩。ということを知って置きましょう。
今日もより良く生きる智慧を与えて頂いて有難うございます。
皆さんの仕合せを心より念じております。
【柔訳 釈尊の言葉第一巻】著:谷川太一より一部抜粋転載
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日本人の道徳心
「プラス志向」
何ごとについても単に防御的、
あるいはマイナスであるよりは、
積極的、進撃的であるほうが
気分的にもいいわけです。
今のはやりの言葉で「プラス志向」
と言ってもいいかもしれませんが、
新しい習慣をつければ、
すなわち進撃的、積極的であれば、
それに成功するたびに、
愉快を感じるわけです。
悪い習慣をなくそうというだけでは、
それは大変なことですから、
あまり愉快な感じにはなりません。
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