「今の自分のまんまで、誰もが丁度良い」
自分が他人から得たモノを軽視しては絶対に生けません。
逆に、他人が得たモノを自分が羨(うらや)ましがっても生けません。
他人を羨む限り、人は自分の心を安定させることは不可能なのです。
(原始仏典 ダンマパダ25章-365番)
この項は単純な「他人を羨むな!」という話ではありません。
非常に怖い因果の法則を釈尊は言っています。
⑴他人から得るモノとは、それが良いモノであれ、
悪いモノであれ、因果のカタマリだということなのです。
この事実を誰もピンときません。
⑵他人が得た良いモノ
(仕事・地位・伴侶・子供・金銭・財産・・・・・)も、
その人物に憑く因果から得ているということ。
* だから他人が得た因果を羨ましいと思う必要は無いという
こと。
* その得た人には、因果の責任が発生しているということ。
* その他人が得た因果を、自分が欲張って無理に取りますと、
自分の寿命を削る場合もあること。
⑶要するに、他人が得た因果
(一見は良いモノに見えても)を羨ましい限りは、自分も不要な
因果をかき集めて行く人間だということ。
従って、いつまで経っても、その人は安心の境地に入ることは無い
ということ。
このように、釈尊の言葉を言い換えることができます。
要するに、今の自分のままで、誰もが「丁度良い」ということなのです。
自分のすべての努力と因果の集積の結果が、今の自分に現れています。
これを人(先祖や人や社会や国や環境)のせいにしている間は、自分が
成長することも、改善することもありません。
だから、継続した今のちょっとした努力が大切なのです。
明日の良い因果を構築している最中が今なのです。
良い因果が貯まって行けば、あとは爆発いるように「機会」が゜やって
きます。因果の法則で必ず「来る」ものなのです。
経営者なので何度も体験していますが、お金が入って来る時は、お金の
ほうからどんどんやって来るのは本当の話なのです。
これはお金だけでありません。
あらゆることに言えます。だから今の自分を信じましょう。
すべては自身の良心の善悪の相殺の上で、自分が努力した結果が因果の
バランスが取られて発露していくのです。
自分の努力が報われない場合も、その陰では悪い因果を帳消しにする
エネルギーに消費されているいるのが霊的な信じです。
すべては完全に完璧に因果の働きは機能しており、今の自分に必要
必然、ベストな状態で最善が発露しています。
だから、本当は、誰もが大いなるはたらきに生かされていることに
感謝をするべきなのです。
他人が羨ましい間は、絶えず不満が湧き、自分が生かされている感謝
に気付くことは難しいです。
これこそが、本当の不幸なことなのです。
自分の死後に後悔をする大きな点と成ります。
今日もより良く生きる智慧を与えて頂いて有難うございます。
皆さんの仕合せを心より念じております。
【柔訳 釈尊の言葉第一巻】著:谷川太一より一部抜粋転載
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日本人の道徳心
「人間の精神」
人間の精神というのは、
仕事に没頭するという本当の勤勉をマスターすると、
休みなしに働き続けることができます。
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今日の諺 「厚顔無恥(こうがんむち)」
【意味】
ほかの人の迷惑などを考えないで、
自分の都合だけで行動するような、
ずうずうしくて恥知らずなこと。
「厚顔」は面の皮が厚いということで、
ずうずうしいこと。
「無恥」は恥がないということで、
恥知らずの意味。
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