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「日々生き直すこと」2/13(火)

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さらに雪山に住む神霊が、釈尊に問いかけます。

「人間に六種類の機能

(眼・耳・口・鼻・身体・頭脳)

があることによって、

迷える民衆が社会の中で苦しい経験をする時、

どのようにして社会の存在価値感に合わない自分だという苦悩から、

人は自由になれるのでしょうか?

教えてください、釈尊よ」

「原始仏典『スッタニパータ』第一章第九節-百七十番]

 

釈尊が答えました。

「コノ世では人にはそれぞれに五種類の欲望が存在し、

社会にはその五種類の欲望が欲しがる対象が存在します。

その五種類とは、視覚の欲望、耳からの欲望、

匂い、臭いに対する欲望、舌から得る欲望、肉体への欲望である。

そして、それらに加えて第六番目の意識に対する欲望がある。

これらの欲望を結局は、つまらないモノだと看破した時、

人は社会にある苦悩から完全に自由になれます」

「原始仏典『スッタニパータ』第一章第九節-百七十一番]

 

人間は、欲望という「感覚」を満足させるために、

生きているのが真相だと示唆されています。

本当の自分を生きるのではなくて、

自分の欲望が満足するための人生を生きているのが、

悩める人間の正体だと指摘されています。

 

誰もが本当の自分を生きずに、

世間からの視線のためにがんばる。

他人の視線を満足させるためにウソの自分を生きる。

でも、それは本当の自分ではないから、

心底から疲れてしまいます。

他人に良く見せたいという

自我(ワレヨシの心)の欲望が、

本当の自分を苦しめていきます。

 

人間が持つ欲望とは、個人で様々です。

年代によっても、欲望の対象が変わります。

ただ、共通して言えますことは、

多くの他人が欲しがるモノほど、

欲望を抱きやすいというサガが人間にあることです。

 

自分一人だけが興味のある対象には人の欲望は大きくなりません。

他人が避ける対象は、自分も心から嫌がりソレを避けます。

多くの人が共通して欲しがる対象ほど、

それに対する自分の欲望が大きくなります。

つまり本当の自分は、

その対象が心から欲しくなくても、

多くの他人が欲しがる対象だからという理由で、

欲しいという感情が生まれるのです。

 

これは実験でも明らかに言えます。

一人の幼児の前で、数人の大人たちが

一つのボールの取り合いを演じて見せます。

すると、幼児もそのボールが欲しいと取りに来ます。

取れなければ泣いて苦悩します。

これが社会で苦しむ大人と同じことなのです。

 

そして幼児がボールを手にした瞬間、

周囲の大人がボールに見向きもしない、

欲しがらない風に演じますと、

幼児は手にボールを持ったままポカンとして、

しばらくしますと「もう要らない」と

ボールを手放します。

どうして泣くほど欲しがったボールが

もう要らないのでしょうか?

そうです、誰もそのボールを欲しがらないからです。

本当の自分はボールを別に欲しくはないけど、

周囲が、多くの人が欲しがるモノが

欲しいのが人間のサガなのです。

 

このような仕組みが、社会にも、

大人たちにも、苦悩が発生する根本原因として

人類の根底にあるわけです。

釈尊はこれを心から、

「つまらないモノだと看破した時」、

その人間の苦悩は消え去ると指摘されています。

まるで幼児が、ボールを手放すようにです。

 

社会にはこういうことが沢山あります。

*恋人と幸せそうにしている友達の、

その恋人を寝取ることに欲情する人。

それが原因で、本当にその二人が別れてしまいますと、

なぜか張本人の自分もその異性への興味が失せてしまうサガ。

*アレほど欲しかった服を実際に入手すると、

なぜか冷めてしまい、押し入れには着ていない服が多い現実。

*多くの同級生が羨望して目指す大学。

自分も憧れてやっと入学しますと、

「あれ?私はこの大学で何をしたかったんだろうか?」

と初めて現実を見始めること。

 

人間は、他人が欲しがるモノが欲しい、

という錯覚に欲情して苦しんでいるのです。

お金、健康、長寿、美貌、家、服、異性、地位・・・・、

何でもよかったのです。

他人が欲しがるモノを、手にしたいだけなのです。

そのようなものがなくても、本当の自分は大丈夫なのです。

 

「柔訳 釈尊の教え 第ニ巻」

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お客様の声

阪急メンズ東京

●先日お問い合わせのあったカーテ

ンのクリーニングのお客様がご来店

されました。明後日にそちらに届く

と思いますので見積もりをよろしく

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北原 純一さん二十七回忌

 

水洗いを開始した平成9年、大混乱の工場の中で、

ナチュラルクリーンの未来に希望を持ち続け、翌年

の2月13日に癌のため亡くなった、北原さんの二十

七回忌をお勤めしました。

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