「自分の中から何を出すのか を意識する事」
牛を飼う信仰者と釈尊の
このような問答が終わるやいなや、
天が返答するように物凄い大雨が降り始めました。
瞬く間に低い窪地も、
小高い丘も暴雨で満たされるほどでした。
神様が大雨を降らされる様を見た
牛飼いの信仰者は語り始めました。
「私が釈尊、貴方様に会えたことは物凄いことでした。
心から衝撃を受けました。
貴方様は真の知恵の神眼を
お持ちであることがよく分かりました。
私はあなたに帰依(きえ:教えに従うこと)します。
私の妻もとても従順で素直な人です。
私と一緒に貴方様のような
如来の元で共に学ばせてください。
何度も生死を繰り返す人の人生を
今生で終わらせ、永遠の彼岸(ひがん)に
安住することを目指したく思います」
(原始仏典 スッタニパータ 第1章2節-No.30〜No.32)
このやり取りを見ていた悪魔は言いました。
「子供を持つ者は、子供を持つからこそ喜びが来る。
牛を持つ者は、牛を持つからこそ贅沢が出来る喜びが来る。
つまり所有物こそが人に喜びをもたらすことが出来る。
何も持たない人には、喜びは来ない」
(原始仏典 スッタニパータ 第1章2節-No.33)
これを見て釈尊は言いました。
「子供を持つ者は、子供に執着すれば、
心配が絶えない苦しみが生じます。
牛を持つ者は、牛を持つことに執着すれば、
色々と心配して悩みます。
つまり所有物こそは人に執着をおこさせて、
いつまでも心を安心させることがありません。
何を持とうが持たなかろうが、
何に対しても執着しない人には、
苦悩は来ません」
(原始仏典 スッタニパータ 第1章2節-No.34)
牛を飼う真面目な信仰者が、
釈尊に感動して夫婦で釈尊の教えを
勉強したいと言えば、悪魔が登場して来ました。
悪魔はいつでも、どこでも、
聞き耳を立てているということです。
人の自我(じが:ワレヨシな欲望や思い)に
住んでいるのが悪魔と言えます。
つまり誰もが、自分の心に悪魔と
仏様(良心・仏性)の両方を既に持った状態が
人間だと言えます。
ここが大切なポイントです。
どこか知らない他所から、
悪魔や仏様がやって来るのでは無いのです。
既に自分の中に同居している訳です。
だから修行すると言いましても、
何かが他所から来ることを期待してもムダです。
自分の中から、自分の内から何を出すのか・・・・?
を意識することがとても大切なのです。
常に自身の静寂の内を意識すること。
決して移り変わる一喜一憂の外ではない。
今日もより良く生きる智慧を与えて頂いて有難うございます。
皆さんの仕合せを心より念じております。
【柔訳 釈尊の教え 第一巻】著:谷川太一より一部抜粋転載
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