
「安心の条件を明確にする」
すべてを捨てて出家(しゅっけ:専門の僧になること)
したからと言って、心の不満が消えることはありません。
また、家庭生活(ある程度の欲を満たす)をしながらの
修行者も、同様に不満心が消えません。
社会の他の人々との「比較」をして気にするがゆえの
不満心を人は常に持ちます。
どんな交わり、集団の中に自分が居ましても、自分一人
で歩く覚悟を持ちなさい。
まるで1本角(ツノ)が立つサイのように一人で歩みなさい。
(原始仏典 スッタニパータ 第1章3節-No.43)
私たちは生きていると、つい何かの形に安心を求めてしまいます。
信心を得れば、お金が有れば、人から認められれば・・・。
そうなれば心が満たされるのではないか、と信じて疑わないのです。
でも、釈尊はそれをやさしく、しかししっかりと違うと教えて下さい
ました。その原因は、いつも他人と比べて生きているからだと。
釈尊は「一本角のサイのように一人で歩みなさい」と教えて下さい
ました。これは孤独を勧めるのではなく、自分自身の歩みを大切に
せよ、と言う意味です。真宗では、阿弥陀様の慈悲の光の中で歩む
ことを指します。
他人と比べて焦る自分も、阿弥陀さまは「そのままでよい」と包んで
下さいます。心がざわついたら立ち止まり、「今、誰かと比べていな
いか」と自分に問いかけ、「なんまんだぶつ」と称えることで、大き
な安らぎを得られます。
阿弥陀さまの慈悲の光の中で歩むとき、私たちは一人でも孤独ではあり
ません。自分自身を尊重する気持ちが持て、自分を大切にする人から真
の安心が到来し始めます。
今日もより良く生きる智慧を与えて頂いて有難うございます。
皆さんの仕合せを心より念じております。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・