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10/30(木)「自然でありなさい」

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「自然でありなさい」

もしも、

* 知恵があり、思いやりが深く。

* 自分と目的が同じである。

* 正しく生きようとすることを自分の修行とする。

このような友人がいる場合は、どんな因果、

困難も気にすること無く。

あるがままに自然に、

喜んで共に暮らして行けば良いです。

(原始仏典 スッタニパータ 第1章3節-No.45)

 

しかし、そのような同伴者を得られない場合は、

どんな自分の栄華や実績も気にすること無く、

どんな交わり、集団の中に自分が居ましても、

自分一人で歩く覚悟を持ちなさい。

まるで1本角(ツノ)が立つサイのように一人で歩みなさい。

(原始仏典 スッタニパータ 第1章3節-No.46)

 

 

前半のNo.45の項は、釈尊の教えを

共に求めて行くサンガ(組織)・仏教集団を

形成していくことを釈尊が認めた、

とする根拠の1つにされている項です。

 

「サイのように、ただ一人で歩け」

と連呼する釈尊の教えなのに、

どうして仏教集団が出来たのか?

という大きな根本的な矛盾を説明する項だとされています。

 

でも、この問題は、No.45だけを読みますと

「釈尊が集団になることを認めた」と解釈されがちですが、

No.46を読みますと、釈尊の真意・深意が見え始めます。

この2つの項を続けて読みますと、

 

* 自分と同じような志(こころざし)・目的を持つ

知り合いが居れば、共に歩んでも別に良いよ。

 

* でも、そういう知人が自分に居なければ、

無理は不要です。自分一人で歩いて行けば良いんだよ。

 

つまり、この2つの内容に共通する内容は、

釈尊が、* 自然でありなさい。と仰っていると、私は

感得します。

 

釈尊の教えの根本は、とにかく、

* 天上天下 唯我独尊 

(てんじょうてんげ ゆいがどくそん)

宇宙には、たった1つの存在しか居ない。

自分自身も、その1つの中の一部に過ぎない。

 

ということに変わりはありません。

この基本の上で、コノ世で生きるには、

* 上記の2つのパターンの内、

どちらでも自然に成るほうで良い。

ということです。

 

自分が生きているその世界の中で、

こうあらねばならないではなく、自然と自分の在り方や

役割が決まって来るということなのです。

その自然に任せればいいということです。

 

今日もより良く生きる智慧を与えて頂いて有難うございます。

皆さんの仕合せを心より念じております。

 

 

【柔訳 釈尊の教え 第一巻】著:谷川太一より一部抜粋転載

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