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11/9(日)「法の目的は人を照らすこと」

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「法の目的は人を照らすこと」

原始仏典 スッタニパータ 第1章3節-№55 補足

 

昔、

ある人が言いました。

「私はまだまだ未熟で、怒りもあるし、

愚痴も言ってしまう。

だから、仏さまに手を合わせる資格なんてありません。」

すると、

僧侶は静かに笑って答えました。

「だからこそ、手を合わせるのですよ。」

仏さまの教えというのは、

「立派になった人のための教え」ではありません。

むしろ、

「どうしようもない」と思うような

苦しみの中にいる私たちに向けて、

「勇気を出して前に向かって歩いていきなさい」と

呼びかけ、

励ましてくださる教えです。

釈尊は、

「人は生まれによって貴いのではない。

心の目覚めによってこそ、本当の自由がある」

と説かれました。

そして仏さまは、

「どんなに迷っても、あなたを見捨てない」

と誓われました。

私たちは、怒り、欲、ねたみ、執

何度も同じことを繰り返してしまいます。

「もうやめよう」と思っても、

また繰り返してしまう。

それが人間の弱さであり、

同時に人間の愛おしさでもあります。

仏さまはそんな私たちを、

裁くためではなく、

照らすためにおられます。

暗闇の中で灯があるように、

「そのままのあなたを照らす勇気と希望の光」が、

いつもそばにあるのです。

「ありがとう仏さま」

と称えるとき、

それは

「仏さまは私と共にいらっしゃる」安心だけではありません。

「そんな私は愚かでした」と深く自分の傲慢さや

愚かさに気づくことでもあります。

そして、

「それでも見放さず、ありがとうございます」と

感謝する声でもあります。

仏教の目的は、

「人を責めること」ではなく、

「人を温かく照らすこと」です。

たとえ何度つまずいても、

そのたびに立ち上がろうとする心の中に、

仏さまの光は宿っています。

どうか、

今日も自分を責めずに、

「この一歩を大切に生きよう」と

仏の光に照らされて一歩でも前に、

大丈夫きっとええようになる。

 

今日もより良く生きる智慧を与えて頂いて有難うございます。

皆さんの仕合せを心より念じております。

 

 

参考文献【柔訳 釈尊の教え 第一巻】著:谷川太一

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