
「真剣に生きる人は、真剣な人を理解する」
厳しい農作業を生き抜いてきた農夫は、
最初、釈尊の「私は農夫だ」という言葉に腹が
立ちました。
“つらさを知らない修行僧が何を言うんだ!!”と。
しかし釈尊の言葉の奥に、
本気の命がけの姿勢を感じた瞬間、
農夫はスッと心を開きました。
「ああ、この人も本気で生きているんだ」
人は、同じ“真剣さ”を持っている相手には、
自然と理解と共感と敬意が生まれます。
私たちも
主婦、会社員、職人、経営者、農家、学生、
保育士、先生、僧侶、どんな立場であっても、
一つのことに真剣に向き合えば、誰もが求道者
になります。
真剣な人には、
予期せぬ導きや出会い、ヒントが訪れます。
真剣に生きる者は、真剣な者を理解できます。
立場は違っても“本気の命”は通じ合うのです。
そして、真剣さは、思いがけない
幸運(セレンディピティ)を呼ぶのです。
(原始仏典 スッタニパータ 第1章4節-No.80・私的な訳)