
【今日の気づきの法話】
原始仏典を読む中で、私が強く感じたことを書きます。
原典の解説ではなく、日々の生活の中で感じた私的な
「気づきのメモ」です。
「怨念を手放す者が、真の勝者となる」
人は誰でも、理不尽な被害や傷つく出来事に出会います。
その瞬間、心の奥に「許せない」「悔しい」という思いが生まれます。
しかし・・・、
本当に自分を不幸にするのは、出来事そのものではなく、
その後に“自分が抱え続ける怨念”だ
と、古い教えは語ります。
怨念は、相手を苦しめるどころか、
まず 自分の心と運の流れを濁し、疲れさせ、人生を重くしてしまう。
だから釈尊はこう示しました。
「恨みを抱かぬ者は、相手の罪を背負わぬ」
加害者が作った因果は本来、加害者に戻るべきもの。
けれど被害者が強い怨念を抱くと、その黒いエネルギーが
自分の方へも戻ってきてしまう。
つまり、
怒りは武器のようでいて、実は
自分に向き続ける刃なのです。
では、どうすればよいのか?
それは決して
「忘れなさい」「許しなさい」
という綺麗ごとではなく、
「怨念だけは持たない」
という一点です。
事実は忘れなくてよい
● 自分の心を守るために距離を置いてよい
● “仕方がない”と天に手放してよい
大切なのは、
「私は恨まない。天にお任せします。」
という、静かな決意。
この一念こそが
最も強い“呪詛返し”となり、
最も自分を幸福にする選択なのです。
結論は、
怨念を手放した者だけが、次の幸運の扉を開く
怨念を捨てるということは、
加害者を楽にするためではありません。
自分の未来を軽くし、
幸運の流れを自分の側に戻すため。
被害を受けたその場所で、
さらに自分を不幸にしないための
「最高の智慧」なのです。
心を澄ませてこう言うだけでいい。
「私は恨まない。
ただ、天が正しく裁くのを待ちます。」
この姿勢が、
最も強く、最も美しい“現代の守り”なのです。