
人は
意思の力だけで、
長く学び続けることはできません。
人は、
「頑張ろう」「もっと努力しよう」
その気持ちは尊いものです。
けれど、
それだけでは心はすり減ってしまいます。
とくに組織の中では、
学びが続くかどうかは、
その人の才能や意欲よりも、
その人が身を置く“場の空気”で決まります。
釈尊が見ておられたのも、
人の心そのものより先に、
人がどんな場に身を置いているかでした。
学びが育たなくなる場には、
いくつかの共通点があります。
結論を急ぐ。
失敗すると、すぐに評価や批判が飛ぶ。
「分からない」と言うことを、遠慮させてしまう。
理解の早さを競わせる。
沈黙を、居心地の悪いものとして壊してしまう。
この空気があるだけで、
人は次第に黙り、
挑戦しなくなっていきます。
心は閉じ、
学びは止まります。
反対に、
学びが守られている場は違います。
言葉に詰まる時間を、待つ。
失敗を裁かず、事実として見つめ、次に生かす。
問いが出たときに、「今さら?」と言わない。
沈黙を壊さず、大切にする。
そして何より、
空気が乱れたときに、
静かに整える人が一人いる。
全員でなくていいのです。
たった一人でいい。
その一人がいるだけで、
場は不思議と落ち着き、
人の心は、元の位置に戻っていきます。
もし、
その「たった一人」に
あなたがなったとしたら。
どれだけ多くの人が、
「ここに居ていい」と感じられるでしょうか。
学びを守るとは、
教えることではありません。
未熟なままでいても大丈夫。
分からないままでいても大丈夫。
失敗しても、ここに居ていい。
そう感じられる空気を、
笑いを交えながら、
受け止めながら、
そっと守ることです。
そうすると、
でこぼこの私たちは、
自然と補い合い始めます。
誰かが優れているからではなく、
場が静かに整っているから、
組織は内側から崩れなくなるのです。
今日この場にいる、
一人ひとりが、ほんの一瞬。
声を落とし、
急がせず、問いを受け取る。
それだけで、この場は調律されます。
学びは、
声高な指導の中ではなく、
静かな空気の中で、
ゆっくりと育つものなのです。
合掌。
※人を育てているのは、環境ではありません。
自分自身の良心(仏性)に、どう向き合っているか、その態度です。
今日一日、自分の良心(仏性)に恥じないか。
その問いを胸に、静かに生きてまいりましょう。
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上善如水エッセイ
「影響を受ける心は、弱さではない」
私たちは時々、
「周りに影響されやすい自分は弱いのではないか」
そう思ってしまうことがあります。
けれど、仏教の眼から見ると、
影響を受ける心そのものが、
決して悪いものでも、劣ったものでもありません。
人は本来、
人と人との関わり、出来事との出会い、
さまざまな「縁」の中で生きています。
その縁を感じ取れるということは、
心が閉じておらず、
世界ときちんとつながっている証です。
もし、何にも影響されないとしたら、
それは強さではなく、
感じる心を閉ざしている状態かもしれません。
大切なのは、
影響を受けるか、受けないか、ではありません。
影響を受けながらも、
自分自身に戻ってこられるかどうか
そこに、ほんとうの強さがあります。
風を受けるから、木はしなります。
けれど、根があれば倒れません。
人の言葉に揺れ、出来事に心が動き、
それでも最後に「私はどう生きたいのか」
と、自分に立ち戻れる人。
その人は、
とても強く、そして美しい生き方をしています。
どんな状況の中にあっても、
自分が自分として生きている。
その事実そのものが、尊く、確かな力です。
どうか、揺れる自分を責めず、
影響を受ける心を否定せず、
静かに調えながら歩んでまいりましょう。
それが、
人として成熟していく道なのです。