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6/3(火)「報恩感謝の念が精進に結びつく」

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最低限の道徳観(エチケット)も無く、

ウソを普通につき、アノ世の存在を信じない人は、

どんな悪行でもすることが可能です。

(原始仏典 ダンマパダ13章-176番)

 

アノ世の存在を信じていない人でも、立派な御方は

無数におられます。しかし、そのような御方は、

* 道徳観の有る人であること。

* ウソをつかない人であること。

この2点を持つ人なのです。

 

例えば、

人への何の配慮もない、ウソも平気でつく、あの世

なんてさらさら無いと持ってる。

そして、人は死ねば消えて終わりであり、すべての悪行

もチャラでありヤッタ者勝ちだと思っている人は、

自分の自我を自制することなく生きていくでしょう。

それが人が嫌がる悪行であっても、その人にはそれ

止める「理由」がないからです。

 

こう考えると、人は自分が悪事をしない「理由」を持つ

ことは、とても大切な因子であることが分かります。

それは人によっては仕事なのか、子どもや家族のためな

のか、お金のためなのか、世間体なのか、何かの役職な

のか、企業のコンプライアンスなのか・・。

とにかく悪事をしない「理由」があることが大切です。

 

しかし、その人に悪事をしない「理由」が無くなれば、

その人はどうなるのでしょうか?

その人は恐いモノ知らずになってみたり、また、生きる

望みを失ったりして自暴自棄になるかも、知れません。

 

大きな震災後、家族も仕事も、すべてを失い自分には

もう失うものがないと思った時、人はその時に初めて、

その人の本性(良心)の発露具合がカギになります。

それは愛する家族が自〇した場合もそうです。

その人や他の家族が、あの世の存在と、死後の継続を

信じているか否か?が問題に成ります。

 

私が代表を努める会社では、毎朝短いお経の後、必ず

釈尊のダンマパダを読み、真理の智慧を学びます。

集まった従業員さんの宗教も宗派もバラバラですが、

人間として生まれた以上、誰もが「生老病死」から逃

れることは出来ません。そこには宗教宗派はまったく

関係がありません。

 

信心とは、信仰とは、色々な種類や内容が有りますが、

ただ単純に「アノ世の存在を信じるか否か」かが、本当

「信仰の原点」だと私は思いますし、この程度が

「丁度良い」し、また「これで十分だ」とも感じます。

この項で釈尊が、わざわざ「アノ世の存在を信じない人」

という表現をしていることの意味は実に大きいのです。

 

やはり、自分には何も無くても、「あの世の存在を素直

に信じている人」でいましょう。

 

先に死んだ親も兄弟も、好きだったあの人も多くの先祖

たちも、みんながあの世で自分のことを温かい眼差しで

見ていると思うだけでも、恥ずかしいことや悪いことを

る気持ちが失せます。

あの世の実存を信じることが、自分の悪事を止め、頑張っ

て亡くなった御方の分まで今を生きる元気となるのです。

 

あとはその先に、自分が仏さまと共に生きていることを

「感得」できれば最高です。これが人がこの世に生まれて

来る最高の目的なのですから。

 

今日もより良く生きる智慧を与えて頂いて有難うございます。

皆さんの仕合せを心より念じております。

 

【柔訳 釈尊の言葉第一巻】著:谷川太一より一部抜粋転載

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日本人の道徳心

「与えた親切、受けた親切」

「親切を与えた人は黙るべし、

受けた人は語るべし」(セネカ)

親切をしたことは言わないほうがいい。

親切にされた人は、大いに語るべきである。

与えた親切はどうしても言いたくなるものだが、

なるべく抑え、受けた親切はなるべく語りたいと私は思っている。

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今日の諺 「興味津津(きょうみしんしん)」

【意味】

何かについて心をひかれ、

おもしろいと思う気持ちがどんどんわいてくること。

見たり聞いたり、

やってみたりするときに使う。

「津津」は、あふれ出てくるという意味。

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