「大事なのは肌で感じる豊かさ 仕合せに気づくこと」
他人の失敗(間違い)は目に付くものです。
でも自分の失敗は、自分で見ようとはしません。
人間は、他人の失敗を周囲に撒き散らしますが、
自分の失敗は隠そうとするものです。
これはまるで、ずるい博打打ちが
自分に不利なサイコロの目を隠そうとすることと同じなのです。
(原始仏典 ダンマパダ18章-252番)
人は、他人の失敗・間違い・罪などが気になるものです。
でも自分の失敗は、「まあいいか」「でも、だって」
「あの人が原因・・・・うんぬん」と思うものです。
他人の失敗は追及するが、自分の失敗は気付かないふりをしがちです。
これはつまり、人とは他人ばかりを真剣に見ており、
自分自身のことを真剣に見ている者は少ないということです。
多くの人は、他人を80%。自分自身を20%。の比率で見ています。
もし、自分自身を80%。他人を20%。の比率の視点を持って生活を
した場合は、その人の人生がゴロッと変わります。
物事が上手くいく人、成功する人は、このタイプが多いのです。
常に自分を、自分の仕事を主観的ではなく、客観的に見ていける人です。
他人のことが80%の視点で生きる人は、他人からの悪口を気にしたり、
他人が何を思っているのか?を常に心配して、自分の時間を浪費します。
そして段々と被害妄想に取り憑かれます。肝心な自分の姿は20%しか
見ていないので、自分の生活や仕事のレベルが向上することが難しい
のは当然なのです。
釈尊は、この項の最後で「サイコロの目」という表現を採用されています。
これは「公平性」に注意しなさいということです。
自分自身を80%も見詰めるにしましても、そこに公平性が欠けていれば、
自我の強い嫌な人間に過ぎません。社会的なバランスの有る公平な視点を持
って、自分の思考内容と行動を冷静に静観できる視点を持つ人が、幸運と
感謝すべき事に「気付く」機会を得ることに成ります。
他人からの悪口の心配に80%も心を占められている人は、自分に幸運が
来ましても「気づけずに」素通りしてしまいます。幸運を毎回逃がすのです。
そして自分が「感謝すべきこと」にも気づけませんから、今の自分にある
感謝すべき物事を失くす方向に進んで行きます。
公平な視点を持って自分自身を常に客観的に静観して、明るく生きていき
ましょう。そうすれば、縁によって自分の最善へと導かれていきます。
今日もより良く生きる智慧を与えて頂いて有難うございます。
皆さんの仕合せを心より念じております。
【柔訳 釈尊の言葉第一巻】著:谷川太一より一部抜粋転載
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日本人の道徳心
「いつも颯爽と」
私はある編集者に昔、
「いつも颯爽としている。
いつも颯爽とした晴れやかな気分でいる
そう自分に言い聞かせている」
と言ったことがあるそうです。
晴れやかな気分でいると、
晴れやかな気分にふさわしい状況が生ずるのです。
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今日の諺 「中途半端(ちゅうとはんぱ)」
【意味】
物事が最後まで終わっていないこと。
または、態度をはっきり決めることができなくて
あいまいなこと。
「中途」は途中のこと、
「半端」は必要なものがそろっていないことをいう。
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