「世間とつながりながら仏法を生きる」
明らかに愚かだと思える人を、
パートナー(仕事・夫婦・仲間・先生・・・・)にしてはダメです。
やはり無理があるのです。それならば、自分一人で歩いて行く
覚悟をすれば良いだけなのです。自分も仲間に成ろうと同調して、
相手と同じ愚かなことをしてはいけません。
自分が求めるものは、少ないほうが理想です。
まるで、森の中を独りで進むゾウのように生きなさい。
(原始仏典 ダンマパダ23章-330番)
釈尊は、自己犠牲の無理をしてはダメ、相手を理解して救おうとして
同様な愚かな行為をする仲間になってはダメ、と言い切っています。
これは相手に無理に合わせて、人への悪口に相槌を打つようなものです。
社会には、女性が自分の良心に恥じるような行為をしてでも
好きな男性を金銭的に助け、そのヒモのような男は女性が逃げない
ように違法薬物や悪習慣で中毒にしていくパターンも昔からあります。
でも釈尊は、愚かだと思える「そのような他人に尽くしてもダメだ」
と断言されています。
万が一、女性のお蔭で男性が更生して、社会的な成功者になったとし
ても、そうなれば違う女性と浮気して去って行くのも社会によく有る
パターンです。だから釈尊は、良心に恥じることでも平気で出来る愚
かな人間からは、「最初から離れなさい」と言い切っておられます。
良心に恥じることでも平気で行うパートナーのことで苦しみ悩むぐら
いならば、「自分一人で生きていく覚悟をすれば良いだけ」
「自分が独りに成ることを恐れるな」と釈尊は断言しています。
ここで誤解してはいけないのは、あくまでも「良心に恥じる行為もす
る相手」「愚かな他人」から離れなさいと言う意味であり、
真面目なのに苦しい境遇にいる相手から離れなさいという言う意味では
ありません。社会的な立場は関係なく、あくまでも良心に恥じる愚かな
行為が出来る人間か否かが判断の基準です。
そして次に、釈尊は自分の望みは出来るだけ1つに絞りなさいとしています。
人間はあれもこれもと望み過ぎますと、どれも叶わないままで終わります。
そして釈尊が言わんとする、人間が求めるべき望みとは、
コノ世的な物質面のことでは無いのは確かです。
それは誘惑の多い森林(社会でもある)の中を進むゾウのように、
自分の良心に沿った理想に向かって真っ直ぐに突き進みなさいと。
今日もより良く生きる智慧を与えて頂いて有難うございます。
皆さんの仕合せを心より念じております。
【柔訳 釈尊の言葉第一巻】著:谷川太一より一部抜粋転載
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日本人の道徳心
「憧れを持つ」
このごろは、偉い人とか尊敬する人を
口にすることを恥ずかしがります。
しかし、これはよくないことです。
青年はやはり憧れとなる人間の像を持つべきです。
そのとおりになるとはかぎらないけれども、
その人にならおうという気持ちがあることは、
プライベートな生活でも、公の生活でも、
きわめて重要なことだと思います。
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今日の諺 「佳人薄命(かじんはくめい)」
【意味】
美人は、病弱であったり、美人であるために
運命にほんろうされたりして、
早死にしたり不幸になったりするということ。
「佳人」は美人のこと。
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