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「すべては安心に向ってするのが進行するのが自然の法則なのです」12/17(日)

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過去の喜怒哀楽は、

もう遠くに置き去りにしなさい。

それよりも今の生活の中で、

心が平静で冷静な極みの中に

安住して静止している禅定(ぜんじょう)を

身に付けていることが最大事なのです。

どんな交わり、集団の中に

自分がいましても、

自分一人で歩く覚悟を持ちなさい。

まるで一本角が立つ

サイのように一人で歩みなさい。

[原始仏典『スッタニパータ』

     第一章第三節-六十七番]

 

禅定(ぜんじょう)とは、

仏教において心が動揺することが

なくなった一定「静止」の状態を指します。

心が平静で冷静な極みの中に

安住して静止している禅定の実践によって、

心が見える景色や他人に一切乱されない時、

それは三昧(さんまい:サマーディ)の状態と呼ばれます。

また、禅定によって心を一切

乱されない力のことを、

心の定力(じょうりき)または禅定力と呼びます。

 

人は仕事をしながら、生活しながら、

過去にあった喜怒哀楽や過去の異性に

自分の心を静止させることが得意です。

まさに「心ここに在らず」が人は得意なのです。

これでは今の生活でも失敗や、

愚かな間違いを繰り返すことになるものです。

釈尊は、これではダメだとおっしゃっています。

 

では、どうすればよいのでしょうか?

過去の喜怒哀楽は、

遠くに置き去りにしなさい。

もう済んだことは、心から離して、遠くに

置いておく心がけを知っておきなさい。

ということです。

これを人は意識すれば

可能であることを知っておくだけでも

変わっていきます。

人は、過去の中に

心が住んではいけないのです。

今の生活の中に心が住まなければ、

人は改善も成長もしません。

 

以上の考察を読んで

改めて思いますことは、

道元さんの禅宗こそが、

釈尊の直伝の「実践」「実行力」を

現代にまで残していると思われます。

*掃除・料理道・畑仕事などの

労働、街に出て他者との触れ合い⋯⋯、

これらを「作務」として

一日の大半において重視する実践。

*生活の中で「心を静止させる」実践。

*今だけを見る、ありのままを見る、

無思考への挑戦。

 

そして私が思いますには、

隔離・閉鎖されて、

お膳立てされた環境の中で

これをおこなうのは、まだ半分なのです。

これを誘惑に満ちた雑多な世間の中で

心がけることこそが、

大きな飛躍と成長を生むと感じます。

 

まさに社会の中で、嫌な同僚や上司の中で、

家庭でもストレスがある中で、

心が平静で冷静な極みの中に

安住して静止している禅定を目指すこと。

 

これを、ただ座る瞑想

(ムダで贅沢な浪費です)ではなくて、

働く動きの中で目指すのです。

これは知らずに道元禅を

自分で実践することになります。

 

今日も自分なりに、雑多な社会と生活の中で、

自分の心を「平静」と「冷静」と「安心」に

静止させる挑戦をしてみましょう。

その方法の入口は、

自分で自分自身の心と思考を、

静観・観察して見る

努力をすることからなのです。

この実践の継続が、

嫌な過去も遠くに置き去りにして、

心の革命を起こすのです。

 

「柔訳 釈尊の教え 第一巻」

著:伊勢白山道より転載

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