「自分のモノ」なんて何もなかった
「自分の持つ」
名称(地位・名声・学位・経歴・・・・・)と、
形(環境・財産・家族・持ち物・・・・・)などに、
「自分のモノである」という意識をまったく持たない人。
また逆に、自分が何も持っていなくても、まったく落ち込
まない人。このような人物こそが、菩薩になって行かれます。
(原始仏典 ダンマパダ25章-367番)
* 釈尊はこの項で、「自分のモノである」という意識を
持つ限りダメだと仰っています。
人間は、「それは自分のモノ」という意識(執着)を持つ限り、
苦しみが生じる法則があります。これは完璧な宇宙法則であ
り、必ずそうなります。心身を蝕む方向に向かいます。
自分が起こした会社にしましても、「自分のモノ」という意識
を持つ限りは、一時的には発展してもそれ以上には発展しま
せん。自分の自我を超えるものは生じないからです。自分(我)
目が届く範囲など、たかが知れているのです。
会社は社員のモノ、社会のモノ、という意識を持つますと、
無限の可能性が生じます。これは学校法人でも、社会福祉法人
でも、どの組織でも一緒なのです。自分の自我を超えた、仏性
(良心)が働き、天が助け出します。
自分の肉体でさえも、「自分のモノ」という意識を持てば不健康
に成って行きます。自分は先祖から肉体を「借りている」「預か
っているだけ」「いつかキレイに返さなければ生けない」と素直
に思える人は、健康に注意し、食生活を節制し、健康に成って行
きます。
そして更に釈尊は、* 自分が何も持たないことを悲しむ人も
ダメだと言っています。
人間は、この2点に注意すれば、段々と人生が楽しく成って行き
ます。苦しみが減って行くのです。
* 自分が今の持つものを失っても平気。
* 何も持たないことも平気。
これでは悲しむ機会が、その人には無いのが冷静な現実です。
後は、楽しく成るしかないのです。要するに執着を持たない人間は、
この世で最強だということなのです。
つまりすべては、「させていただいてるだけ」なのです。これは
誰もの人生のすべてに言えることです。社会のなんにでも、誰にで
も言える事です。自分が何かをさせていただいている間は、
「全力で投球する」「最善を尽くす」。それぞれの立場に「成りきる」
ことがエチケットだと感じます。
結局この世は、「自分のモノ」は何一つなかった、ということを知
っておきましょう。これを知っておくだけでも、今日からの生活での
悩みの深さが分かります。すべては仏さまの元へと帰っていくだけ
なのです。そしてまた、この世に遊びに来ます。
今日もより良く生きる智慧を与えて頂いて有難うございます。
皆さんの仕合せを心より念じております。
【柔訳 釈尊の言葉第一巻】著:谷川太一より一部抜粋転載
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日本人の道徳心
「善と悪」
世の中の善と悪は状況次第で変わるものである。
それを知っておけば、
事をなすときに迷う必要はない。
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今日の諺 「旧態依然(きゅうたいいぜん)」
【意味】
物事が昔のままで、
進歩や変化がない様子のこと。
物だけでなく、ものの考え方などにも使われる。
「旧態」は昔のまま、
「依然」はもとのままという意味。
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