
「娯楽の時代に心を見失わない」
世間が夢中になる様々な娯楽や競技(スポーツ)が、
人生のすべてだと思うのは止めなさい。
そのようなことに関心を持つよりも、
自分の心身を着飾って
他人に見せたい気持ちから離れなさい。
自分自身に対して、ウソの無い言葉だけを話す努力を
しなさい。そうした上で、どんな交わり、集団の中に
自分が居ましても、自分一人で歩く覚悟を持ちなさい。
まるで1本角(ツノ)が立つサイのように一人で歩みなさい。
(原始仏典 スッタニパータ 第1章3節-No.59)
「娯楽の時代に、心を見失わないために」
スマホを開けば、動画が流れ、
ゲームが鳴り、ニュースが更新される。
私たちは、
かつてないほど多くの“娯楽”に囲まれています。
退屈を感じる暇もないほど、
世界は私たちを楽しませようとしてくれます。
しかし、
ふと夜中に画面を閉じたあと、
「今日、自分は本当に何をしていたんだろう?」
そんな空虚さに気づくことはないでしょうか。
釈尊は、
こう問いかけています。
「あなたは、何度生まれ変わっても、
同じように娯楽に逃げ、同じように虚しさを味わうのですか?」
娯楽そのものは悪ではありません。
疲れた心を癒し、
笑い合うことも人生の大切な一部です。
けれど、娯楽に“逃げる”とき、
私たちは自分の心と向き合う機会を失ってしまう。
「楽しい」と
「安心したい」は違うのです。
釈尊が伝えたかったのは、
「楽しむな」という戒めではなく、
「楽しみの中に、目覚めを見いだせ」という智慧です。
たとえば、
ゲームをするなら、
「自分はなぜ勝ちたいのか?」を観察してみる。
SNSを見るなら、
「なぜ他人と比べてしまうのか?」を感じてみる。
音楽を聴くなら、
「なぜこの曲に心が動くのか?」を味わってみる。
それが、
“気づきの娯楽”になります。
そこから、
心の奥の「本当の自分」、良心・内在の仏さまへと
つながっていけるのです。
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娯楽は逃げ場ではなく、鏡にする。
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自分を飾るより、自分を観る勇気を持つ。
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嘘のない言葉を、まず自分の心に向けて話す。
現代は「情報と刺激の洪水」の時代。
だからこそ、
静かに自分を見つめる時間が“贅沢”になっています。
その贅沢を、どうか自分に許してください。
そして、こう言ってあげてください。
「私はもう、娯楽に逃げない。
でも、娯楽を通して自分を知る人間になる。」
それこそが、
現代に生きる釈尊の「中道」なのです。
今日もより良く生きる智慧を与えて頂いて有難うございます。
皆さんの仕合せを心より念じております。
参考文献【柔訳 釈尊の教え 第一巻】著:谷川太一
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