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11/16(日)「生きる意味を感じる」

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「生きる意味を感じる」

水流の中で魚網に捕まった魚が、

網を突き抜けて川に戻るように、

世間に在る様々なサガ(ワレヨシの自我・性)への

執着を断ち切りなさい。

 

そして過去に自分の執着心から、

自分のサガの炎が焼き払った場所・相手に

留まることが無いようにしなさい。

 

どんな交わり、集団の中に自分が居ましても、

自分一人で歩く覚悟を持ちなさい。

まるで1本角(ツノ)が立つサイのように一人で歩みなさい。

 

(原始仏典 スッタニパータ 第1章3節-No.62)

 

よく人は、

「自分の生きる意味を見つけたい」と言います。

でも実は、

生きる意味は最初からどこかにあるものでは

ありません。

仏教では、

「縁起(えんぎ)」という考え方があります。

すべての出来事は、

無数のつながりの中で生まれている。

つまり、

私の命も誰かや何かとの関係の中で今ここに

あるわけです。

だから、

「生きる意味」は、

誰かと関わりながら、

毎日の小さな出来事の中で、

少しずつ何かを育てていくものなんです。

社会では

「意味のある人生=人の役に立つこと」と

思いがちです。

もちろん、

それは素晴らしいことです。

でも、

仏教はこう言います。

「自分の心が今、

 どのように動いているかを見つめなさい。」

たとえば、

・朝の光がきれいだなと思った。

・誰かの優しさにふと涙が出た。

・自分が誰かを笑顔にできた。

・あの音楽が心の窓を開いてくれた。

それら一つひとつが、

「生きている意味」そのものなんです。

“役に立つ”ことも大切な事ですが、

“心が動く”瞬間を大切にすることです。

そこに、その人のいのちが輝いています。

仏教の教えの中に、

「念(ねん)」という言葉があります。

「今、この瞬間を心に留める」という意味です。

つまり

過去を悔やまず、未来を焦らず、今ここを大切に生きる。

今日のこの瞬間、目の前の人にホッとする笑顔を向ける。

落ちているゴミを黙っってそっとひらう。

それだけでも、

十分に「意味のある生き方」なんです。

「生きる意味」とは、

誰かが教えてくれる“正解”ではありません。

それは、生きていく中で、

あなた自身の心が紡いでいく物語です。

どうか焦らず、

今日の一歩を、丁寧に踏みしめてください。

その一歩の中に、

すでに「生きる意味」は息づいています。

 

 

今日もより良く生きる智慧を与えて頂いて有難うございます。

皆さんの仕合せを心より念じております。

 

参考文献【柔訳 釈尊の教え 第一巻】著:谷川太一

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