
良心はどこで狂うのか?
― 忙しさ・評価・比較が、良心の声をかき消す ―
私たちは、
悪いことをしようとして
道を外れるわけではありません。
多くの場合、
ちゃんとやろうとしていても
いつの間にか良心から離れていきます。
忙しさが、焦って、良心を黙らせます。
忙しい時、
とにかくテンションを上げて人は判断を早めます。
考える前に・・動く。
感じる前に・・・決める。
この時、
良心はまだそこにあります。
ただ、
聞く時間がないだけです。
「後で考えよう」「今は仕方ない」
この一言が増えた時、良心は
一歩後ろに下がります。
評価が、良心を置き去りにします。
次に起こるのが、
人からの評価です。
「どう見られているのか」
「正しいと言われているのか」
「成果や結果が出ているのか」
「いい評価は出ているのか」
人からの評価を基準にし始めると、
良心は基準から外れます。
なぜなら、
良心は点数をつけないからです。
評価は、外から来ます。
良心は、内側からしか来ません。
比較が、良心を歪ませます。
忙しさと評価が重なると、
最後に比較が入ってきます。
「あの人はもっと早くやっている」
「この人は私よりよく出来ている」
「自分は遅れている」
「あの人に、この人に、絶対負けてはいけない」
ここまで来ると、人は
自分の速度を完全に見失います。
良心は、
自分の速度でしか
話しかけてきません。
他人の物差しを持った瞬間、
良心の声は
真っ白に成って聞こえなくなります。
大事なことがあります。
良心は、壊れたのではありません。
声が聞こえなくなっただけです。
だから、立ち止まって、
大きな息を吐きだして
元の自分の位置に戻ればいいのです。
良心が戻る瞬間って?
良心が戻るのは、
反省した時ではありません。
立ち止まった時なのです。
「これって、自分を見失っているのでは?」
我が身を振り返った時なのです。
・急がない
・比べない
・評価を一度置く
そして、こう問い直す。
「私は今、心が落ち着いて静かだろうか?」
この問いに戻れた時、
良心は何事もなかったかのように
静かに元に戻ります。
良心が狂う場所は、
特別な悪の中ではありません。
忙しさ・評価・比較・という、
外発的な、ある意味舞い上がった
自分を見失った日常の中にあります。
だからこそ、誰にでも起こるのです。
そしで「ああ、これは違うなぁ・・」と気づいて
立ち止まったら調律が起こり
誰でも、元に戻っていける。
良心とは、
シンブルで気負いのない自分に戻って
自分らしく生き直す力なのです、
合掌
※人を育てているのは、環境ではありません。
自分自身の良心(仏性)に、どう向き合っているか、その態度です。
今日一日、自分の良心(仏性)に恥じないか。
その問いを胸に、静かに生きてまいりましょう。
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