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「己だけの思いとは、己が苦しくなる方向に向くので要注意です」12/22(金)

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*自分の欲望のために執着する心。

必要以上にむさぼり、欲張る心。

*他人を憎む心。

常に怒りの心を持つこと。

*信仰や真理を求める心をバカにしたり、

毛嫌いする無知の心。

このような人としての三毒を捨てましょう。

自分の心が奪われるような世間の物事

(異性・賭け事・過剰な娯楽・無理な交友⋯⋯)

に対して、自分の心を

結び付ける綱を切断しなさい。

自分の命がコノ世から去ることも

心配しないこと。

だから、どんな交わり、

集団の中に自分がいましても、

自分一人で歩く覚悟を持ちなさい。

まるで一本角が立つ

サイのように一人で歩みなさい。

[原始仏典『スッタニパータ』

     第一章第三節-七十四番]

 

この項は、後世の仏教でよく言われます

「三毒」「三つの煩悩」について、

釈尊が触れています。

この原始仏典である『スッタニパータ』が、

三毒について触れた最初の正式な

原典と言っても過言ではないでしょう。

 

人間をダメにする三つの毒とは、

(1)過剰に欲張ることは、

いつか自分をダメにします。

自分を犯罪にも誘導するかも知れません。

 

(2)他人を憎む心。怒りを常に持つ心。

こういう心は、自分で自分の肉体を

私怨(身勝手な怒り)の「炎」で

焼いていくことになります。

 

体内で細胞が怒りの私怨で焼かれますと、

私はそれがガン細胞に変化することを

他者の中に感得することがあります。

自分の怒りの炎が焼くのは他者ではなくて、

自分自身だったというオチです。

 

怒りっぽい人、表に出さなくても

怒りのストレスを溜め込む人と、

後年のガン発生との相関関係を

実際に調査すれば、

興味深い統計が出ると私は感じます。

それほど、霊的には明らかだと感じます。

あくまでも、これは根拠のない

私論ですが自信があります。

 

逆に言えば、ガン予防も可能なのです。

一切の怒りを捨て去り、笑っていることです。

笑える映画、漫才、ドラマ、漫画、

何でも良いから笑いを日常生活の中に、

娯楽の中に、探します。

すでに病んでいる御方も、

遅くはありません。

まず笑うことを意識しましょう。

大丈夫になっていきます。

医師の治療の効果も変わっていくことでしょう。

私は細胞が「病むことができるように」、

改善する時も早い、

あるいは一瞬だ、という持論です。

 

(3)真理を求めない無知のままの

心は毒だ、と釈尊は断言します。

別に真理を求めなくても

楽しく生活ができます。

でも、何回生まれ直しても、

そのたびに楽しさだけを求めて

終わることを百回も永遠に繰り返すことは、

それは本当の幸福なのか?という

釈尊の問いかけでもあります。

 

真理を心に体得すれば、

永遠の涅槃(天国。

その快楽はコノ世を超越する。心がとろける)

が実在することを、

法悦(ほうえつ)(恍惚感)の世界があることを、

仏典は色々な形で説明しています。

 

そして、次に大切なことは、

自分の命がコノ世から去ることも、

心配しないことです。

人は、コノ世だけ、コノ世で終わるだけ、

死んだら終わり、という無知がある限り、

死を過剰に恐れおののき、

生きている今の生活も捨てかねません。

死んだら終わり、

ならば犯罪もする可能性や

他人にイジワルや、イジメもする

可能性もあります。

 

しかし真実は、コノ世で終わりではない、

のです。

死んで終わりどころか、

今回の人生の残り半分、

後半は、アノ世に舞台が移るのです。

自分がした行為の人生(コノ世)での反射を、

アノ世で生まれ直して受けます。

そしてアノ世でも、

「なぜ自分だけがこんな状況に置かれるのか?」

とやはり悩んでいます。

あれ?コノ世でも私たちは、

「なぜ自分だけが」と思いがちですね。

 

自分が忘れている前回の人生の

反射を受けているのが今に過ぎません。

こういうことを何十回も繰り返しているのが、

今の私たちの心なのです。

釈尊からの、

「もういい加減に卒業すれば?」

という問いかけが、

『スッタニパータ』でもあるわけです。

 

今日もサイになって、

自分の人生を歩きましょう。

サイは小さい目で、前しか見ません。

周囲に何が来ようとも、

「関係ないね」と突進するのみ。

悩むことがありません。

笑顔と笑いを忘れずに、

前へ前へ歩きましょう。

 

「柔訳 釈尊の教え 第一巻」

著:伊勢白山道より転載

・・・・・・・・・・・・・・・

大田くん。

気遣いありがとう。感謝です。

 

 

 

お客様の声

君津本店

★鰻屋の御主人

「カレンダーまだありますか?」

ここのカレンダーだけもらうんです。

他のカレンダーはもらわないんです。

「言葉が好きでね~」「よかった」と

喜んでいただきました。

 

 

木更津工場

●お客様が春保管のお品物を出してくださいました。

保管はとても喜ばれます。

 

新宿伊勢丹メンズ館

●色修正を行ったワンピース。

仕上がりをご確認いただいたところ、

「分からなくなりましたね」と

お喜びいただきました。

(60代 女性)

 

阪急メンズ東京

●「シミ抜きできますか?」と

電話にてお問い合わせがあり、

出来る旨をお伝えしました。

金額を聞かれましたが、

お品物を見てみないと分からない旨を

お伝えしました。

「検討します」と仰っていただきました

 

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人生の災難やトラブルを抑えられるために。

 

「見ること」は面倒くさいことだ!

今回のこのシリーズで思うことは、

本当に「人間が見ること(認識すること)」は

本当にパワフルで重要だ。ということです。

たとえば
・周囲の人に心を配ること
・災害災難の最悪を想定すること
・耳の痛い小さな警告を聴くこと
どれも面倒くさいことばかりです。

でもそこがポイントでした。

周囲の人の心を配る。

自分の周囲に心を配ること。関心を持つこと。
相手の立場ならどう考えるだろうかと気を配ること。
声を上げない人や目立たない人にも目を配ること。
これらは面倒なことです。

災害災難の最悪を想定すること。

災害災難の最悪を想定すること。
仕事のこと。お金のこと。健康のこと。家族のこと。
そして天変地異の災害のこと。
人間には「最悪を考えたくない」という「正常性バイアス」という癖があります。
最悪を意識することは、面倒なことです。

耳の痛い小さな警告を聴くこと。

小さな警告とは
・耳を塞ごうと思えば防げる
・自分にとって耳の痛い警告
これは電車の中吊りやたまたま目についたネットの記事などの偶然にあったり
この人からは言われたくないという人物の言葉に隠れていることも多いです。
見なかった聞かなかったことに出来る本当に小さな警告です。

ポイントは ①見ること

しかしこれらの事柄は
① 見ること
② 行動すること
③ 結ぶこと
で、人生の災難やトラブルの多くが抑えられます。

人生のトラブルの経験を積むほどに、人はだんだん学んで行きます。
これらの ①見ること は確かに面倒くさいことだけど。
でも事前に ①見ること で確かにトラブル災難はお気にくくなる。

②行動すること ③結ぶこと で更に起きにくくなる。
しかしまず重要なのが ①見ること です。

誰でも経験を通じて視野が広がっていく。

魂の経験値が深い人ほど、この ①見ること の視野が広いかもしれません。
・目立たない人隠れた人に対してもさりげなく目を配っている。
・表面上敵対する相手に対しても相手の立場でも物事を観ている。
・常に用心深く最悪の未来を感じている。
・自分に都合が悪い情報ほど注意するようにしている。
・相手の悪意敵意の言葉の中にも自分が省みる点を抽出している。

我々凡人にはなかなか難しく思えることばかりかもしれませんが、
でもどんな人でも人生の失敗や挫折の経験を通して、少しずつでも ①見ること の視野が広がっていきます。

「まるぞう備忘録」より抜粋転載

 

災害災難の最悪の事態を想定しておくこと。

これは会社にしても、お寺にしても、保育園にしても。

仕事のこと。お金のこと。健康のこと。家族のこと。

そして天変地異のこと。

まるぞうさんのブログを読みながら、

あらためてそこに意識が向きました。

リーダーは人一倍危機管理に敏感でなくてはならない。

 

来年は辰年。

2024年のキーワードは「天から知恵を授かる」だ

そうです。知恵とは「恵まれしことを知り、恵まれ

しことへ感謝する。つまり感謝の心を第一として

すべてに対峙していく、ということですね。

 

何事に対してもも感謝に勝る徳はないです。

 

 

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