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「現れるすべてが自分にちょうど良い」3/12(火)

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人は、真実を見抜く心の眼力を持ちますと、

悪い執着、疑い迷う心、奇妙なマジナイに頼る心、

という三種類のケガレから離れることが可能になります。

そして、苦しい地獄、卑しい餓鬼、ケモノの根性、

喧嘩に明け暮れる阿修羅、

という四つの苦界から離れることができ、

六つの重罪、つまり父を殺す、母を殺すという二つの大罪、

争う相手を殺すこと、高貴な人物を傷害すること、

社会の平和を壊す罪、悪い師に従う罪、

このような六種の重罪を犯すことは絶対になくなります。

これも社会の中で修行することで

得られる貴重な御宝です。

この真理の言葉で、幸せになって欲しい。

[原始仏典『スッタニパータ』

       第二章第一節-二百三十一番]

 

人物や、物事の真実を見抜く心の目を持ちますと、

・三種類のケガレ(悪い執着、疑い迷う心、

奇妙なマジナイに頼る心)から離れる人生を歩み。

・四つの苦界(苦しい地獄、卑しい餓鬼、

ケモノの根性、喧嘩に明け暮れる阿修羅)

とは無縁な人生になり。

・六つの重罪(両親を殺すという二つの大罪、

争う相手を殺すこと、高貴な人物を

傷害すること、社会の平和を壊す罪、

悪い師に従う罪)を犯す人生とは無縁になる。

このように、人生における様々な害悪、悪いパターン、

犯罪に巻き込まれることから離れると示されています。

 

でも、「そんな真実を見抜く目を、誰もが持てるのか?」

「私も持ちたい!」と多くの人は思われるかも知れません。

答えは、誰でも持てます。

さらに言えば、誰もが持っていた、と言えます。

 

幼児の頃は、誰もが「怖い」「好き」を

最初の直感で判断ができていたのです。

人物でも、場所でも、食べ物でも、遊びでも、

何に対しても「イヤイヤ」か、または笑顔で、

その本質がわかっていました。

でも、成長するにつれて自我(我良しな心)が芽生えますと、

真実を見抜く心にフタがされていきます。

 

だから、大人になっても、

この仏典が指し示すように、

*今の物事を、白紙にした素直な心で、見直してみること。

*真実を見抜くには、その外見ばかりを見るのではなくて、

その物事や相手の心を見るつもりでいること。

*自分の良心という心の目で、

物事を見るように意識すること。

*そこに、良心はあるのか?

これを考えましょう。

 

これを普段から心得ることで、

真実を見抜く心の眼力が醸造されていきます。

人間は、自分が意識もしないことは、

それは持てないのです。

自ら意識をしていくことで、

その片鱗を持ち始めます。

素直な心の目で物事を見ていけば、

誰もが良心に基づいた判断ができると私は感じます。

「心の目で見なされよ」と、

自分自身に呼びかけることを

参考にしていただければ幸いです。

 

「柔訳 釈尊の教え 第三巻」

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