思い出の時が甦るウォータークリーニング

日々是笑日

未分類

「思いやる心が難を避ける」3/13(水)

投稿日:

 

何が正しいかがわかる心の目を持った人は、

もし、自分が肉体を使って、または言葉でもって、

または心中で悪い行為をした場合、

それが自らの態度に出てしまい、

隠すことができなくなります。

これは、最高の悟りを開いた御方も必ずそうなると、

自ら説明されて認めていることです。

これも社会の集団の中で

修行することで得られる貴重な御宝です。

この真理の言葉で、幸せになって欲しい。

[原始仏典『スッタニパータ』

    第二章第一節-二百三十二番]

 

自分の良心をまだ失わずに持っている人。

何が正しいかを見抜くことができる人。

こういう人は、

・ウソをつくことが下手になる。

・ウソをつけない人になる。

・もしウソをつけば、

すぐに態度に出てしまいわかってしまう。

・これは、悟った人にも同じことが言える。

 

仏典は、「そういう人であれ」とここで示唆しています。

これは逆に言えば、

・ウソを上手につき通してバレない人は、

要注意人物である。

・平気でウソが言える人は、怖い人である。

・上手にウソが言える間は、悟りから程遠い。

・そういう人の死後の行き先は、

まだまだ修行である。

このようにも言い換えることができます。

 

考えてみれば昭和時代には、

何が本当に正しいことかは、

誰もが共通してわかっていた気がします。

悪人でも、何が正しいかがわかった上で、

悪事をしていたような気がします。

でも悲しいことに今の時代は、

何が本当に正しいことなのか?が

見えない時代になっているかも知れません。

育った環境によって、「正しいことって何?」と

真剣にわからない子どもたちが増えていないでしょうか?

 

つまり、仏典がわざわざ当たり前のことを

指摘しているように思えた、

「もしウソをつけば態度に出てしまい、

バレる人になること」が必要な時代が、まさに今です。

二千五百年前に、

末法の時代では正しいことも

当たり前ではなくなると指摘されたことが、

本当になっていると言えそうです。

 

今の自分は、ウソをつくことが上手な人なのか?

下手な人なのか?

もし、自分がウソをついても、

バレない自信があるか?

 

自分では、ウソの上手下手はわからないのか?

人それぞれの段階があることでしょう。

 

顔色を一切変えずにウソを言える人からは離れ、

自分はウソが下手で、もしウソをつけば

後からオロオロするような人に、

生きている間になれれば幸いだというのが、

この項の指摘です。

 

このようなことが、自分の死後にも、来生にも、

影響する因子になるという示唆でもあります。

つまらないウソで、

次に自分が生まれ出る環境や条件が変われば、

それは本当に何よりもの大損です。

以上のことは、アノ世が重視する点として、

覚えていただけると幸いです。

 

「柔訳 釈尊の教え 第三巻」

・・・・・・・・・・・・・・・・・

-未分類

Copyright© 日々是笑日 , 2024 All Rights Reserved Powered by STINGER.