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7/7(日)「人が喜び、自分も喜ぶ道がいい」

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一年間功徳を得るために神を祀り、犠牲を捧げよう
とも、その功徳は行いの正しい人を敬うそれの四分
の一にも及ばない。
※釈尊の時代もそうですが、現在も様々な真理に反す
る怪しい信仰があります。徒党を組んで自称正しい信仰
をしても、多くの貯金と、家族との貴重な時間を無駄に
捨てていたならば、死ぬまで自分も家族も後悔をします。
それよりも真面目に働く人々を尊敬して、自分も正しい
生活行為を継続するのが釈尊のお墨付きの本当の信仰
だったのです。今日も縁ある家族の人に感謝の気持を
送りましょう。
柔訳(原始仏典 ダンマパダ8章-108番)
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もし不幸ではなくても、信仰のために多くの貯金と、
家族との二度と無い貴重な時間をムダに捨てていたならば、
やはり死ぬまでに後悔をします。

自分の願い事を叶えたいがために、

人がコノ世で神様を祭って、
多くの奉仕とイケニエを年中捧げたとしても、
火炎に多くの貴重品を捧げて燃やしたとしても、
それから得られる恩恵は正しい生活行為の数割にも満たない。

 

つまりは、祭事よりも真面目に働く人々を尊敬するほうが、
その恩恵は大きいのです。

 

(原始仏典 ダンマパダ8章-108番)

 

(感想)
ここまで言いますか?ということを釈尊が仰っています。
これには、釈尊が生きた2500年前の社会事情があるようです。
やはり当時でも怪しい修行者が多数もいて、
真理を体感した釈尊から見ますと、
ムダで幼稚な土着信仰が多かったのです。
神像の前で家畜を殺生して血を捧げたり、
火炎の中に貴重な品を燃やすことで、
人の願い事を叶えようとしていたのです。

 

修行者が幅を利かす当時の社会で、
「そんなムダなことをするよりも、
真面目に働く家にいるお父さんやお母さんを尊敬するほうが、
神様からの利益は大きい」
ということを街の中で触れ回っていました釈尊が、
修行者たちから糾弾されていたことは無理がないことでしょう。

 

(中略)

 

の章の釈尊の言葉を真面目に聞いて、
働く人々を尊敬して、自分も正しい生活行為を継続するならば、
その人の老後は幸福な状態に「社会的にも」
成っていることは間違いがありません。
数十年後の老後が幸福に成れる信仰こそが、
本当の真理に沿った正しい信仰だったという証明に成ります。
徒党を組んで自称の正しい信仰をしましても、
自分の老後が不幸ならばやはり何かが変だったのです。

 

もし不幸ではなくても、信仰のために多くの貯金と、
家族との二度と無い貴重な時間をムダに捨てていたならば、
やはり死ぬまでに後悔をします。
このようなことが無いように、
今日も家族の人に感謝の気持ちを送りましょう。
これが釈尊のお墨付きの本当の信仰だったのです。

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