「他人を見ている限り進歩はない」
自分のものだけを溺愛するという自我の母性と、
俺が俺がと威張る自我の父性を滅すること。
自分が必ず死ぬことを忘れている増長する自我の王様と、
何をしてもどうせ死ぬのだからムダだと思ってしまう
虚無の王様を滅ぼすこと。
肉体の機能と、心の領域を合わせて12個の領土と、
そこに棲み付く喜怒哀楽という自我を静観して少なく
すること。
このようにして修行者は穢れること無く進んで行きます。
(原始仏典 ダンマパダ21章-294番)
(1) 自分の家族や子供、ペットだけに執着して溺愛する自我。
(2) 私が私がと見栄を張る自我。
(3) 自分の命が永遠ではないことを忘れている謙虚さを欠いた自我。
(4) 何をしてもムダだと思う怠け者の自我。
これが2500年も前に生きた釈尊の言葉です。
これはこのまま、現代人にも言える事です。
人間のサガ・性とは、まったく変わっておりません。
進歩も進化もしていません。
でも釈尊が実在されたように、
現代の誰もが釈尊に成れる時代が来ていると感じます。
ここで大切なことは、人間の様々の領域に棲み付く自我
(じが:ワレヨシの心)を沈静化して行くことです。
この継続が、私たちを浄化して行きます。
これは、各人がどんな状況でありましても、自分の環境
の中で浄化して行くことが可能です。
他人と比較せずに、自分の居る世界こそが重要なカギです。
自分だけの固有な、因果・因縁が反射して出現しているからです。
だからこそ、逆に今の環境が重要なのです。
これを乗り越えることで、自分の因果・因縁が昇華されます。
逆に言えば、自分が成仏するためには、今の環境を避けては生け
ないのです。
どうしても生きる人間は、他人との比較や関係で浄化が停滞します。
他人を見ている限りは、進歩はありません。
すべては自分自身です。
今日もより良く生きる智慧を与えて頂いて有難うございます。
皆さんの仕合せを心より念じております。
【柔訳 釈尊の言葉第一巻】著:谷川太一より一部抜粋転載
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日本人の道徳心
「自己内発的な夢」
自己内発的な夢というのは、
そこの喜びがある。
喜びを抱いて努力をすることが、
運を呼び寄せ、人生を開く鍵になると思うのである。
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今日の諺 「千載一遇」
【意味】
またとないような、絶好の機会の事。
「載」は「年」と同じ意味、
「遇」は出会うという意味で、
千年に一度あるかないかのような、
偶然に起こったよい機会という意味。
【由来】
中国の古い書物にある
「千載一遇は賢智の嘉会なり
(千年に一度でも賢人に会えるなら、
幸せな出会いである)」という言葉から。
ほかの書物からという説もある。
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断酒日記
今日は新月。
早朝よりお参りに行ってきます。