思い出の時が甦るウォータークリーニング

日々是笑日

未分類

「人の運命は今が起点となり、未来は白紙」8/16(水)

投稿日:

 

金銭を集めることに執着をせずに、

自分が食べる食物については

よく調べて吟味をします。

そういう人々が悟り、

無心になれた場合は、

その人の運命は未知なものとなり、

その未来を知ることができません。

それはまるで、大空を飛ぶ鳥の軌跡が見えないようにです。

[原始仏典『ダンマパダ』第七章 ―九十二番]

 

金銭というものは、

欲しい時には集まらない「生き物」です。

釈尊は、財産を持つな、金を儲けるな、

とはおっしゃっていません。

これを誤解してはいけません。

 

悪徳な集金宗教団体が、
「釈尊が財産を持つなとおっしゃっている」

という逆の解説をして、

一般人から金銭を集めることに執着をします。

これこそが大罪です。

 

釈尊の本意は、

金が有ろうが無かろうが、

そのことに「執着をするな」ということです。

金の有無に左右されるなということです。

 

大金持ちでも金銭に執着がなければ、

それは素晴らしいことであり、

財産を保持したままでも因果を受けません。

お金がなくても、

それで自分の心を傷めなければ、

心が豊かな人物になることが可能です。

 

自分の善徳貯金が貯まり始めますと、

お金のほうから自然と「来る」ことが起こります。

上り調子の人を視ますと、

今までの善行が爆発するように、

金銭のほうからその人に寄っている様を

感じることがあります。

その人が拒否しようが、

どう転んでも金が集まる事態に向くのです。

これも良い意味で、

因果の法則が発動していると言えます。

 

そして珍しいことに、

釈尊が自分の食事についてはよく調べて、

自分なりの最善を尽くしなさいと指摘しています。

 

考えてみますと、

禅宗などは食事を作ること・正しく物を食べることが、

重要な修行の要素に入っています。

禅宗では作務という、

農作業や清掃などの

日常作業を修行としておこないますが、

その中でも食事を作ること、

また食事をいただくことが

重要な「動の瞑想」になっています。

 

道元禅師も「典座教訓」

(典座とは禅寺において食を司る重要な役職)

という本を著して、食を重要視しておられます。

食は霊的な要素としても欠かせないからです。

 

無心になれるためには、

*執着を持たないこと。

*食事を大切にすること。

この二点の継続が

重要なカギになることを覚えておいてください。

 

次に釈尊が、

「無心になれた人ほど、

その人の未来は白紙になり読めません」

と断言されています。

「人の運命は常に今が起点となり、未来は白紙です」、

「運命があるとすれば、

その人の生活上の惰性という方向性だけです(慣性の法則)」

と私もよく書きますが、

この項で釈尊も裏付けをしてくれています。

 

ただし釈尊は、

「無心になれた場合」と条件を付けておられます。

確かに無心になれた場合は、

先入観もないですし、

今までの生活のパターンから脱却することになり、

運命は未知になると感じます。

しかし、「何も考えないこと」

「カンナガラ(内在神との一体感)になること」

「あるがままになること」、

これが難しいわけです。

 

ここで逆転の視点を持ちます。

「無心でない人の運命は読める」ということです。

 

例えば悪いことをしている人が、

それをやめないままでいるとします。

その人の友人が、

そのままでは頭を打つことになると助言をします。

その後にやはり悪事をしていた人が罰を受けますと、

友人は予言をしたことになります。

人の運命が、読めたことになります。

 

このように人の生活習慣のパターンを

冷静に見るだけでも、

その人が行き着く先のパターン(運命)は読めるわけです。

 

ここで大切なことは、

今におこなう「努力」こそが重要であり、

絶えず今の努力が未来のパターンを変更しつつ

創造している「最中・ing」だということです。

 

つまり、無心になること=懸命に努力すること。

これでもよいのです。

無心になることが難しい・わからない、と思えば、

懸命に自分ができる生活努力をいたしましょう。

これをあきらめずに継続しますと、

自分の明日は必ず変わっていきます。

 

努力もせずに、

未来を知りたがることほど

運命が悪くなることはありません。

それは先入観の植え付けとあきらめが自分に生じて、

本来は白紙の未来が悪化していくことになります。

 

人間は、「落ちて行くことも自由」

である現実を忘れないことが大切です。

すべての原因は今の自分自身にあるのです。

 

「柔訳 釈尊の言葉」

著: 谷川 太一より抜粋転載

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・

クリーニングのお勉強

●クリーニング店から戻ってきた

夏物の白いブラウスですが、

袋に入れたままタンスに保管していました。

この夏、さて着ようと思ったら

黄ばみのようなシミが点々と付いています。

どうしてでしょうか。

再度クリーニングに出すと落ちるのでしょうか?

 

黄ばみの原因には次のことが考えられます。

①酸化チッソガスを使って

表面をコーティングしたポリエチレンの袋や

プラスチックハンガーによるもの。

樹脂加工を施したブラウスであれば、

酸化チッソガスと反応して黄ばみが出る

②洗濯のすすぎ不足

③使われている糊剤に

酢酸ビニル系などの物質が入っていると、

酸化作用を起こして黄ばみが生じる

④ドライクリーニングの場合は

溶剤による逆汚染

⑤汚れ成分が生地に残っていて、

経時変化によって酸化し、

黄色い色調が出てくることもある。

このように黄ばみが生じる原因にはさまざまあります。

黄ばみは通常の洗浄方法だけでは落ちませんが、

たとえば塩素系漂白剤を使うなどすれば、

落とすことは可能です。

しかし素材にポリウレタンを含んでいる場合は難しいものです。

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

-未分類

Copyright© 日々是笑日 , 2024 All Rights Reserved Powered by STINGER.