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9/25(水)「今を集中して、見て、生きればOK」

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「今を集中して、見て、生きればOK」

釈尊いわく、「今」に生きるという極点に至る人、

このような人は、何も無い今の時に、歓喜の気持ち、

感動、感謝の気持ちが持てる人だと仰います。

つまり人間は、平凡な生活の中「でも」安心と感謝の

気持ちを持てるように成れば、それは自身のいのちの大きな

気付きであり、悟り、信心の瞬間だと言えます

(原始仏典 ダンマパダ24章-348番)

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過去も未来も現在も捨て。向こう岸に渡れ。
心があらゆることから解き放たれた人は、
もはや輪廻すすることがない。
(原始仏典 ダンマパダ24章-348番)
釈尊は、この348番の項において、
コノ世の究極の真理をストレートに述べておられます。
まさに、これが全てです。
あらゆる聖典のすべてが、ここに凝縮されています。
「あなたの、未来を心配するな。過去に執着するな。
あやふやな迷いを捨てなさい。」
そして、今という瞬間・瞬間に生きなさい。
これが極まるほど、すべての悩みや妄想から解放されて行き
ます。
これが極まるほど、自由度の領域の広がりが始まります。
そのような人は、もう強制的な生まれ変わりも必要が
無くなり、完全に自由ないのちと成ります。

 

しかし、

自身の思考はいつの間にか過去を嘆いてみたり、

未来を憂いたり・・・。

 

つまり人間は、平凡な今には興味が持てないのです。

結局は自作自演で何かの刺激を求めているのです。

 

でも一生懸命に今日を生きていますと、

何んでもない休憩でも「ふ~~う」、

楽しいひと時に成ります。

 

ここに大いなるヒントが在ります。

釈尊いわく、「今」に生きるという極点に至る人、

このような人は、何も無い今の時に、歓喜の気持ち、

感動、感謝の気持ちが持てる人だと仰います。

 

まるで、真宗の「妙好人」です。

 

つまり人間は、平凡な生活の中「でも」安心と感謝の

気持ちを持てるように成れば、それはいのちの大きな

気付きであり、悟り、信心の瞬間だと言えます

 

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日本人の道徳心

「許す」という行為が良好な人間関係を築く

次郎は野原へ出て文雄の来るのを待って

いました。その間に文雄から借りたボール

を誤って川の中へ落として失くしました。

それで文雄が来た時、そのわけを話して

「ごめんなさい」と詫びました。

文雄は「過ちだから仕方がない」と言って、

次郎を許してやりました。

※「人の過ちを許せ」は、被害者意識の強

い現代人にとっては実践の難しい課題です。

一般的には、このような場合は「ボール

を失くしたのなら、弁償すればいい」とな

る。この一文の主題と成っている「許す」

という行為は、時代に関係なく、非常に

重要な事柄です。「許す」ことで相手は

勿論ですが、何よりも自分自身の心が楽

に成ります。お互いが楽になるということ

は、お互いの良心が喜んでいるということ

です。

良好な人間関係を築いていく上で、とても

重要なこの「許す」という行為。

何か問題が起これば、すぐ被害者に成り切

っていく人たちだらけ。そんな現代に生き

る我々がもっとも取り戻さなければいけな

い思いやりの感覚なのです。

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日本人の諺

畳の上の水練(たたみのうえのすいれん)

 

意味=理屈ややり方を知ってるだけで、

   実際にやっていないので、役に立

   たないこと。

 

由来=「水練」は水泳の練習。畳の上で

         練習しても、実際の中に入ったら

         泳げないことから。

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